JO1が『Tropical Night』、『PRODUCE 101 JAPAN』、そしてデビューから3年の軌跡を語る(全文日本語訳)

Teen Vogue

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はじめに

英語だからってスルーしてしまうにはあまりにももったいない良記事だからたくさんの人に日本語で読んでほしいという思いで日本語訳したものの、この翻訳のせいで元記事のPV数が減るのは避けたいという大ジレンマを抱えているので、ぜひ元記事もたくさんクリックしてもらえると嬉しいです!

 

 

11月の寒い夜、2022年のMAMAアワードが開催された京セラドームを包む暗闇を割って日本のポップグループJO1が登場しました。JO1のメンバーである川尻蓮、川西拓実、豆原一成が薄暗い青い光の中に現れ、スクリーンには "I am, I wish, I will "の文字が表示される。これは世界で最も影響力のある舞台で魅せる、彼らの夢の集大成であり、彼らがここにたどり着くまでの“旅の続き”である。

 

ピアノとヴァイオリンの音色が響く中、JO1のメンバーである與那城奨、白岩瑠姫、河野純喜、佐藤景瑚、木全翔也、大平祥生、金城碧海、鶴房汐恩が登場し、彼らの楽曲 "SuperCali" のオーケストラバージョンが始まった。SuperCaliとオーケストラという、天地がひっくり返るような意外な組み合わせは、夜を徹して脈打つ壮大なスペクタクルを生み出した。演奏の最後、興奮冷めやらぬ中で最年少の一成がこう宣言する。 “You can ask me now what’s the next.(次に何が待っているのか教えてやるよ)”

それは、共に上へ上へと突き進む運命にある11人分の交差する人生に“光を当てる(Shine a light)”、世界に向けた招待状なのだ。

 

I am

Teen VogueがJO1にインタビューするため東京にオンラインで接続したのは、これからの予定と祝福に溢れる春の一日だった。素顔で、快適なゆるい服装に身を包んだ屈託のない性格の11人組は、数時間前に最新シングル「Tropical Night」のリリースを記念したYouTubeライブ配信を終えたばかりだった。

しかし、それと同等か、もしくはそれ以上に重要なことに、その日はJO1の自称サブリーダー(公式、と言ってもいいのかもしれない)であり、チーム全員を影で支える精神的なセーフティネットのような立ち位置を確立し始めている翔也の誕生日でもあった。23歳になった彼は、以前にも増して実力と才能に満ちたパフォーマーで、音楽の話題になると躊躇なく踊り出す人だ。「昔はよくカバーダンスをしていて、その時の興奮が忘れられないんです」と彼は言う。「“みんなを幸せにしたい "という思いが、エンターテイナーを目指す原動力になりました。」

 

つまり、この全員に共通する信念が、彼とJO1の他のメンバーを結びつけたのだ。JO1は、PRODUCE 101 JAPANという、16歳から30歳までの101人の個人練習生を集めてJ-POPアイドルとしてデビューするチャンスをめぐるサバイバル番組から生まれたグループ。出演者の大半は芸能界未経験者で、この一世一代の舞台のために仕事や学校など、それぞれの環境を捨てて出演を決めた。

 

例えば純喜は、大学時代にコンサート会場の警備のアルバイトをしたことがきっかけで、「どんなに手の届かないところでも自分の夢をあきらめるわけにはいかないと思った」と語った。「音楽は、自分の感情を動かすもの」と、彼は真剣に語る。ボーカリストでありながら、率直な人柄でも知られる純喜。「人のステージを見たり自分で歌ったりして、歌に感動して泣いたことはこれまでの人生で数えきれません。そしてその経験こそが、僕の人生の支えになっているものです。」

 

PRODUCE 101 JAPANは、今はなき韓国のPRODUCEシリーズと同じ予選の回数や視聴者投票システムといったオーディション形式を採用していたが、一つだけ違うのは、出来上がったグループに活動期限はなく、彼らの活動が永久に続くということ。そのため、オーディションでデビューを掴むということは同時に、これから毎日練習に明け暮れ、疲れ果て、眠れぬ夜を過ごすことになる。

 

オーディション中、自分の人生の方向性がガラッと変わるぞと確信した瞬間はいつだったのかと聞くと、数秒の沈黙の後、愛知県出身のボーカル・景瑚が部屋の中を見渡して誰かを探し始めた。そして、JO1公式マンゴー愛好家・碧海が後ろに座っているのを見つけると、「僕たちは2人とも、最終回まで一度もデビュー圏内に入ったことがなかったんです。」と明かした。そのため、最終回で自分の名前が呼ばれたときは衝撃だったそうで、景瑚は「まさか自分が選ばれるとは思っていなかったので、とにかく不安でいっぱいでした。ファイナルの会場には親も来ていて… 僕の名前が呼ばれたときに親が涙ぐんでいるのが見えて、僕も涙が出ました」と振り返った。

 

景瑚の言葉を受けて、メンバーたちはまた、短くもかなり静かな回想を始めた。というのも、ラインナップの発表の重大さは、白か黒かといった単純な考え方では測り知れないからだ。メンバーそれぞれの受け止め方は違ったが、それぞれが間違いなく新しい始まりを感じていた。「1位になったのは最終回が初めてだったので、とても強い緊張感を感じました」と語るのは、豆原一成(仲間からは「まめちゃん」と呼ばれている)だ。この番組でデビューを勝ち取るまでは、高校に通いながら子供向けのダンスの先生をしていた。一成は、「最後の最後に1位と聞いて、肩の荷が下りたような気持ちでした。デビューするために絶対に成功させるんだという決意と覚悟を決めて臨んだファイナルのステージに立ち、複雑な感情が入り混じっていました。」と語る。

 

I wish

PRODUCE 101 JAPANの終了後、新生グループは日本の大企業吉本興業と韓国の大企業CJ ENMの合併会社であるLAPONE Entertainmentと契約した。その目的は、「国境を越えて共鳴できる、永続的で革新的な芸術的アイデンティティを確立すること」。グループ名「JO1」はこの決意を表しており、「PRODUCE 101 JAPANに参加し共に夢を追いかけた練習生達が一つになって世界のトップを目指す」という意味を持つ。

 

最初の一歩というものは得てして最も困難になるもので、彼らは突然、目まぐるしいペースで進み続ける環境に飛び込むことになった。これまでの生活とは180度違うことに戸惑いを覚えた。「驚きの連続でした」と語るのは、JO1のリーダーで最年長の奨(27)だ。JO1のリーダーであり、最年長の27歳である奨は、グループを代表してコメントをするスポークスマンを務めることも多く、その柔らかく響く心地よい歌声は彼らの楽曲に欠かせないものである。「エンターテインメント業界はもっと華やかなものだと思っていましたが、今は、見えないところでこっそりと積み重ねるべき一歩一歩の重みと痛みを実感しています」。

 

デビューまでの間、JO1は韓国・ソウルに渡り、景瑚が「1ヶ月間の、本当の意味でのブートキャンプ」と呼ぶ期間を過ごし、タイトル曲 "無限大" を中心としたファーストシングル "Protostar" を作り上げた。それは、よせ集めだった彼らの絆を築きながらスキルを高めるというマルチタスクが求められる、強烈な準備プロセスだった。「準備期間は毎日夜明けから夕暮れまで」と、景瑚が両手でジェスチャーをしながら奨と視線を交わし、奨もうなずきながら「朝はボーカルトレーニング、夜はダンストレーニング。歌詞や振り付けも同時に覚えていました」と続けた。

 

JO1は2020年3月に日本の音楽業界に正式に参入し、『Protostar』はオリコンビルボードジャパンのチャートで1位を獲得した。コロナ禍の拡大によりその年の計画が大きく変更されたため短期間の活動にはなってしまったものの、彼らにとって最初の大成功となった。彼らは当時を振り返り、あの空白の数カ月を挫折とは思わず、むしろ熟考と進歩のために必要な時間だったと捉えている。「自分たちを見つめ直し、いろいろなことを実感し、十分な訓練を積むための時間だった」と奨は言う。「結局、デビュー前は十分に練習できる時間がなかったので、基礎的なレベルを上げることができた時間になりました」と。

 

国境の閉鎖や様々な制限がある中、グループは環境の変化に適応しなければならず、JO1のパフォーマンスリーダーである蓮が練習のバトンを受け取った。「パンデミック前は韓国の振付師の先生から直接習っていたのですが、コロナ禍になって、韓国の先生に隣にいてもらうことができなくなりました」と、彼らしい穏やかな口調で話す。山下智久や、PENTAGON、Wanna OneといったK-POPグループのバックダンサーを務めるなど、オーディションを通じて蓮は最も有望な練習生の一人として活躍していた。常に厳しくも面倒見よく指導してくれる彼の存在は、グループにとって安定感の要のような存在となった。「結局、動画を見たりオンラインで繋いだ画面の向こう側から振付を学ぶことになったのですが、とても難しかったです。」と蓮は続けた。「でもそんな状況でもも、"この動きはもっとカッコよくできるかもしれない "とか、"この導線はもっとスムーズにできるかもしれない "とか、みんなで話し合っていたんです。そういった会話の積み重ねが、今のパフォーマンスに繋がっているのだと思います」。

 

当然ながら、バラバラの個性が共存するためには大変な努力が必要で、JO1も結成当初はすべてが薔薇色で上手くいったわけではなかったと認めている。碧海は「僕たちは一人ひとりのキャラクターがとてもユニークなので、グループとしてのバランスを取るのが最初は難しかったです。」と詳しく説明し、特にコロナ禍の初期には衝突もあったものの何とかやり過ごすことができたと明かしている。碧海が「僕たちはみんなバラバラの意見を持っていますが、僕たちがこれまで行ってきたイベントや各メンバーのメディアへの出演は全て、僕たちがグループとしてよりまとまり、同時に輝くのに役立ったと思います。」と語る。

 

彼は正しい。彼らの爽やかなシナジーは、確かに輝いている。JO1はこれまで、2枚のフルアルバムと7枚のシングルをリリースし、いずれもオリコンチャートとビルボードジャパンで1位を記録し、その売り上げは400万枚を超える。日本ではMTV Video Music Awardsを3回、MAMA Awardsを3回(2022年のFavorite Asian Artistを含む)、日本レコード協会からはゴールドディスク賞を1回受賞。そして、新型コロナの規制解除に伴い、昨年秋には初のアリーナツアー『KIZUNA』も開催し、10万人以上のファンを動員した。

 

ひとたびステージに足を踏み入れると、11人のメンバーはステージを完全に自分達のものにしてしまう。JO1は、鋭いシンクロと圧倒的な存在感で観客が目を離せないほどに心を奪う。彼らはファンを虜にするアーティストだが、中でもアリーナツアーを創り上げていく過程は、彼らの結束を高めるポジティブなきっかけになった。「ツアー期間中にパフォーマンスについて話し合う中で対立がよく起こったのですが、これはとても健全で良いものだったと思います」と奨は語る。「ファンに対して自分たちをどう見せるかに全員が情熱を注いでいるからこそ、健全な対立が生まれるんです」。

 

YouTubeにアップされた旅行や冒険の記録、温泉に行くなどのリラックスタイム、そして日常的に直面する問題を一緒に解決する様子から、彼らはスポットライトが当たっていないときでも非常にうまく調和がとれていることが見てとれる。

 

I will

Tropical Night(熱帯夜)とは、日没後、気温が華氏68度以上の状態が続くことを指す。それは強烈でありながら諸刃の剣であり、身体が冷え切らず落ち着かないことの代名詞として使われるようになった。JO1の7枚目のシングルはこの空気感をテーマに製作された、奨曰く「挑戦的で野心的な作品」になっている。「今まで自分たちがこもっていた殻を破ることを意識した」と奨は言う。

 

タイトル曲「Tiger」は、いつどんな結末を迎えるかわからない中ひたすらに夢を追い求める主人公の物語が描かれている。JO1の磁石のように人を惹きつける魅力的なオールラウンダーである拓実がこのデモを初めて聴いたとき、この曲には人の心に長く引っかかる、余韻のようなインパクトがあると感じたという。「言葉の選び方、歌詞の内容、すべてがピタリとハマっていたんです」。この表現をさらに強めるように、純喜は歌詞の本質を「パワフル」と表現した。

 

「自分たちがトップだ、自分たちがナンバーワンなんだとはっきりと宣言することこそが、僕たちがこの曲を通して、またパフォーマンスを通して体現したい魂です。僕たちは、虎の威を借るのです」。その横で、一成が「Tiger」のサビに合わせた振り付けを控えめに(ではなかったが)踊り始め、純喜の言葉を表現しようとしていた(のかもしれない)。そして、その2秒後くらいに翔也が踊り出すと、自然と2人の協調性が生まれ、他のメンバー一同の笑いを誘った。そのくだりの後に翔也は「強く攻撃的に、不屈のオーラを表現したい。それが、私たちが表現したいことなんです。」と改めて語った。

 

JO1が "Tiger "のパフォーマンスで見せつけているのは“虚勢”だが、Tropical Nightの全体的な展開が自分たちのコンフォートゾーン(慣れ親しんだ環境)を打ち破ることに繋がったという奨の意見には、全員が同意した。マンネリ化を避けるために全員の努力とチームへの貢献度を増やし、常に前進することが必要だった。蓮は、「自分にしかできないことも含めて、グループとして改善できる部分はまだまだたくさんあります」と話す。さらに「パフォーマンスには正解がなく、純粋に観る人の評価次第なので、多くの人に共感してもらい、驚いてもらえるような瞬間を作りたい。まだその余地はあると感じています。」と続けた。

 

青髪によって謎めいたカリスマ性がさらに高まっている祥生にとって、Tropical Nightはスタジオ内で自分の意見やビジョンをより多く作品に反映してもらえるようになった、"扉が開かれた"タイミングだったという。「以前は、プロデューサーの望むレコーディングを指示されるだけだった」と祥生。「今回はしっかり自分で考えて、“(自分の声を)もっとカッコよく聴かせたい”という意見を出すと、プロデューサーもたいてい納得してくれました。より良いものになるぞと思いながら、自分なりのプロセスを踏みながらレコーディングできた経験になりました。」

 

CDの後半には、汐恩や翔也が出演したドラマのサウンドトラックにもなった、アップビートな「We Good」やバラード「Romance」などが収録されている。また、最近ではメンバーのほとんどが俳優業にも進出。「ドラマの撮影と「Tiger」の振付練習を並行して行っていたので、とにかく自分との闘いでした」と汐恩は言う。彼は控えめで慎重な性格で、燃え上がるようなステージとは対照的である。汐恩は「夜遅くまで撮影があり、翌朝は早起きしてまた同じことを繰り返す。大変なことも多かったが、その困難を乗り越えられたことは、自分にとってとてもいい勉強になりました。」と続けた。

 

個人のスケジュールとグループの活動のバランスを調整することで、明瞭さという感覚も養われた。翔也は自分の考え方がより自立したものになったと語る。「これまでグループの中で守られてきた自分が、たった一人でドラマやテレビに出演するということは物事を一人で乗り越えなければならないということ。僕にとって全く新しい挑戦ですが、演じることやそのキャラクターになりきることは、難しくもあり、楽しくもある。新しい自分も発見できるので、もっと追求していきたいですね。」と明かした。

 

JO1が俳優業で活躍する話題は、現在人気ウェブ漫画「クールドジ男子」(英語で「Play It Cool, Guys」)の実写版に出演し、炎のように赤い髪が魅力的な四季蒼真を演じている拓実に移った。「とにかく大変なんです!」と、額に当てていた人差し指を立ててにっこり笑う姿に、JO1はまたもや笑いを誘われる。しかしそんな中でも、オーディション時代から定評のある拓実の忍耐力は健在だった。「共演者のおかげで、いい経験をさせてもらっています。彼らと話していると、それだけですごく刺激になるんです。」

 

Go to the top

Tropical Nightは、ある種の過渡期に到着する。このインタビューの1ヶ月前、JO1は結成3周年を迎え、KCONタイランドへの出演をはじめ、いくつかのプロジェクトが決定していた。キッチンで大混乱を引き起こしているとき(テーマパーク飯を作る動画参照)ですら、いつも王子様のようで優しげな表情を浮かべる瑠姫が、自分たちの可能性が年々深まっていることを実感していると語ってくれた。

 

「それはメンバーも感じているし、きっとファンの皆さんも感じていると思う」と瑠姫。「もし僕がファンなら、ライブ中にメンバーのテンションが下がったり、元気がなかったり、クオリティが下がっているのを見たら、すごくがっかりすると思うんです。でも、実際の僕たちはその真逆で、自分たちの絆が強まり、努力の成果が確実に実を結びつつあるのを感じています。」と語った。

「4年目、5年目となると、技術的な課題も増えてくるし、見る目も肥えてくるから、もっと期待されるようになる」と瑠姫は続ける。あまりのストイックさに、バースデーボーイの翔也が拍手を始めると、瑠姫は照れくさそうに笑った。

 

3年という月日はそこまで長いものには感じないが、JO1にとってこの3年間は、すべてを変えてしまうものだった。自分たちが何者なのか、何ができるのか、そして何を学び、何を成し遂げなければならないのかを知る3年間だった。「今までやってきた全てのライブが、本当に素晴らしいレッスンになりました」と祥生は言う。「学んだことは、多分メンバーそれぞれで違うと思うんです。でも、僕にとっては、日本の年末番組である紅白に出演したときが、自分たちが日本の音楽業界に受け入れられたと感じた瞬間でした。」

 

紅白歌合戦は、日本で最も著名な年末の音楽祭であり、招待を受けるということは、世間に認められるということでもある。昨年はJO1が初出場し、彼らの軌跡を示す重要な瞬間となった。確かにプレッシャーはあるが、個人的にはそのプレッシャーをネガティブに感じてはいない、と純喜は言う。むしろ、プレッシャーは初心を思い出させてくれる「いいもの」だと考えている。「自分たちがこれまで歩んできた道のりの原点や当初の感情に常に立ち返るためにここにいるのだと思うし、僕たちはそうやってグループとして成長していけるんだと思います」と純喜は語る。

 

結局のところ、彼らが見せてくれる成長は、彼ら自身が前進するためだけでなく、他の人々のモチベーションを高めるためでもあるのだ。「言葉の壁があっても、僕たちの音楽とパフォーマンスを通して、言葉を超えた感情が幸せの輪を広げることができるんだと思います。」と、純喜が明るく大きな笑顔で締めくくった。「そのために、僕たちは常に戦い続けます。」

 

ここまで来てようやく、"What's next?(次はどうするの?)"と聞くのに相応しいタイミングだと思った。

奨が答える。「"JO1 "という名前を世界に知らしめます。」